奈良地方裁判所葛城支部 平成6年(ワ)318号 判決 1999年2月01日
原告 A野二郎
<他2名>
右原告ら三名訴訟代理人弁護士 高井和伸
同 長屋容子
被告 香芝市
右代表者市長 先山昭夫
被告香芝市訴訟代理人弁護士 小寺一矢
同 小濱意三
同 畑山和幸
同 古嵜慶長
被告 C川三郎
<他2名>
被告C川三郎、同C川松夫及び同C川松子(以下「被告C川ら」という)訴訟代理人弁護士 藤田良昭
同 野村正義
右訴訟復代理人弁護士 伊加井義弘
被告 D原四郎
<他2名>
右被告D原四郎、同D原竹夫及び同D原竹子(以下「被告D原ら」という)訴訟代理人弁護士 鈴木康隆
主文
一 被告C川三郎(以下「被告C川」という)及び被告D原四郎(以下「被告D原」という)は、各自、原告A野二郎(以下「原告二郎」という)に対し六三四万八八二八円、原告B山花子(以下「原告花子」という)に対し一六七万三〇八三円及び右各金額に対する平成三年一〇月三一日から支払済みまで年五分の割合による金額の支払いをせよ。
二 原告二郎及び同花子の被告C川及び同D原に対するその他の請求並びにその他の被告らに対する請求並びに原告A野一郎(以下「原告一郎」という)の被告らに対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、原告二郎と被告C川及び同D原間に生じた費用を二八分し、その一を右被告両名の連帯負担とし、その他を同原告の負担とし、原告花子と右被告両名間に生じた費用は二四分し、その一を右被告両名の連帯負担とし、その他を同原告の負担とし、右原告両名各自と右被告両名以外の被告らとの間で生じた費用はそれぞれ全部右原告両名各自の負担とし、原告一郎と被告らとの間で生じた費用は全部同原告の負担とする。
四 この判決は、主文一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一請求
一 原告二郎
被告ら各自に対し、一億七八〇一万七五三〇円及びこれに対する平成三年一〇月三一日から支払い済みまで年五分の割合による金員
二 原告花子
被告ら各自に対し、四〇一五万四七七〇円及びこれに対する同日から支払い済みまで年五分の割合による金員
三 原告一郎
被告ら各自に対し、三三〇〇万円及びこれに対する同日から支払い済みまで年五分の割合による金員
第二主張(以下、本項の記載を「主張」という。なお、特に断らない限り、原告らの主張は、被告ら全員との関係での主張である)
一 被告らの認める原告ら主張の請求原因事実
1 原告二郎は、訴外A野太郎と原告花子の次男として昭和五一年一一月一七日に出生した。原告二郎には知的障害があったが、平成元年四月、香芝市立E田中学校(以下「E田中」という)へ入学し、同三年一〇月当時は普通学級である三年B組(以下、学年あるいは学級名で示すのはE田中の学年あるいは学級名の趣旨)に所属していた。
2 原告花子は、平成三年五月二〇日、訴外A野太郎と離婚して、原告二郎の親権者となった。
(被告C川らは、2項の事実について知らない)
3 原告一郎は、原告花子の長男であり、原告二郎の兄である。
4 被告香芝市(以下「被告市」という)は、地方公共団体としてE田中を設置・管理しているものであり、平成三年一〇月当時、校長は宮本博覬、教頭は増田浩、三年の学年主任は三上憲孝、三年B組(以下「B組」という)の担任は西久美子であり、養護教員は三木和恵であった。(被告C川らは、養護教員が三木和恵であったことを知らない)
5 被告C川及び同D原は、平成三年一〇月当時B組に所属していた。
6 被告C川松夫及び同C川松子(以下「被告松夫ら」という)は被告C川の両親であり、被告D原竹夫及び同D原竹子(以下「被告竹夫ら」という)は被告D原の両親である。
二 被告市の認める原告ら主張の請求原因事実(被告市関係)
1 原告二郎と被告市の間には、原告花子が同二郎の親権者として同原告のE田中への入学を申し込み、被告市がこれを承諾したことによって、教育諸法上の在学契約関係が成立しており、被告市は右契約に基づき、原告二郎に対し、諸教科を教授し、生活指導等を行うべき義務を負っており、さらに、右在学契約に当然に付随する義務として、原告二郎の教育活動中の生命・身体の安全を配慮すべき義務を負っている。
2 E田中の教師らは、いずれも被告市の右義務の履行補助者である。
3 また、公立学校設置者は、義務教育制のもとで、心身の発達過程にある生徒をいやでも学校へ登校させ、その教育指導下に置く以上、生徒の生命・身体の安全について万全を期すべき注意義務を負っている。
4 E田中の宮本校長を始めとする教員らは、被告市の地方公務員であって、同人らが生徒に対して行う教育活動は、国家賠償法一条にいう公権力の行使に該当し、日頃から生徒間に「いじめ」がないように生徒を指導し、かつ、生徒の行動を保護・監督・教育すべき義務がある。
三 被告市及び同D原らが認め、同C川らが明らかに争わない原告ら主張の請求原因事実
平成三年一〇月三一日午後零時四五分ころ、B組では四時間目の国語の授業が終了し、教室には未だ生徒全員が揃っておらず、担任の西教諭も教室に来ておらず、先に教室へ戻ってきた生徒から順次昼食の準備をしていた。
原告二郎は、窓際の最後列の自席に着き、机の上に弁当箱を置いて全員が揃うのを待っていた。
四 被告らの否認する、あるいは知らない原告ら主張の請求原因事実
1 傷害事件発生状況
(一) 被告C川及び同D原は、示し合わせて原告二郎の所へ近付き、同D原がいきなり同原告の額を指で弾き(生徒たちが「パチキ」と言っていた行為)、「なんやその弁当、大きいな。誰が作ったんや。気持ち悪いな」と言った。
(被告市は、同C川及び同D原が原告二郎の所へ行き、被告D原が同原告の額を指で弾き、「弁当誰に作ってもらったの」「弁当箱、大きいな」と言った事実は認める。被告D原は、「なんや、その弁当箱大きいな。誰が作ったんや」と言ったこと及び原告二郎の額を指で弾いた事実は認めるが、右指で弾いた時期については同原告が「うるさい、あっちへ行け」と言ったときである旨主張する)
(二) 原告二郎は、大好きな母親である同花子の作った弁当のことを言われたため、「うるさい、あっちへ行け」と言ったところ、被告C川及び同D原は憤って、まず被告C川において回し蹴りのような格好で座ったまま何の抵抗もしない同原告の右側頭部あたりを蹴った。
(被告らは、同C川が回し蹴りのような格好で原告二郎の頭部右側あたりを蹴った事実は認める)
(三) ついで、被告D原が窓のカーテンで原告二郎を横から覆い、同原告が払い除けると再びカーテンを被せて覆い、被告C川がカーテンで覆われて逃げることもできない同原告の右側頭部を更に二回蹴った。
(四) この間、原告二郎は泣きながら「やめて、やめて」と言ったが、被告C川及び同D原はやめようとせず、これを廊下で見ていた三年A組の訴外A田春夫(以下「A田」という)が教室に入って来て、「二郎ちゃんに何するのや」と言って止めに入り、ようやく中止した。
(被告市は、(四)の事実のうち、原告が泣き出したこと、A田が教室に入って来て「二郎ちゃんに何するのや」と言った事実は認める)
2 原告二郎の被った傷害及び後遺障害
(一) 傷害
原告二郎は、被告C川及び同D原から、1項記載の暴行を受け、その結果、頭部外傷、環軸椎亜脱臼の傷害(以下「本件傷害」という)を負って、激しい頭痛やめまい、フラフラしたり物が逆さまや斜めに見える等の症状が続いた。
(二) 治療状況
原告二郎は、本件傷害の治療のため、次の医療機関で受診し、次の期間治療を受けた。
(1) 財団法人よろず相談所病院脳外科
平成三年一一月二日から同四年二月二七日まで通院(実日数一二日。以下、かっこ内の数字は実日数の趣旨)
(2) 同病院眼科
平成三年一一月五日通院(一日)
(3) 同病院耳鼻科
平成三年一一月六日から同年一二月一六日まで通院(六日)
(4) 同病院神経内科
平成四年二月一四日通院(一日)
(5) 大阪市立大学医学部付属病院脳神経外科
平成四年二月二六日から同五年一一月二四日まで通院(一七日)
平成四年二月二八日から同年五月一三日まで入院(七六日)
(6) 多根病院(ただし、大阪市立大学付属病院からの預かりとして)
平成四年五月一三日から同年九月二八日まで入院(一三九日)
(三) 後遺障害
原告二郎は、本件傷害の結果、軽度の四肢麻痺、頸部痛、頸部の高度運動制限の後遺障害が残存した(以下「本件後遺障害」という)。
3 被告らの責任
(一) 被告C川及び同D原の責任
被告C川及び同D原は、平成三年一〇月三一日当時中学三年生であって、第三者へ有形力を行使することの危険性を十分に判断できる能力があったものであるが、共同して、故意に原告二郎に暴力を振るい、その結果同原告に本件傷害を負わせたものであって、原告らに対し、民法七〇九条、七一九条による不法行為責任を負う。
(二) 被告松夫ら及び被告竹夫らの責任
被告松夫らは被告C川の両親として、被告竹夫らは被告D原の両親として、それぞれ被告C川及び同D原を、他人への身体の危険又は社会通念上許容できないような精神的・肉体的苦痛を及ぼすことのないよう監護・教育する義務があるのにこれを怠り、もって被告C川及び同D原をして原告二郎に本件傷害を負わせたものであって、原告らに対し、民法七〇九条もしくは同七一四条による不法行為責任を負う。
(三) 被告市の責任
(1) 「いじめ」とは、「同一集団内の相互作用過程において優位に立つ一方が、意識的あるいは集合的に他方に対して精神的・身体的苦痛を与えること」などと定義されており、学校及びその周辺において、生徒間で一定の者から特定の者に集中的・継続的に繰り返される心理的・物理的・暴力的な苦痛を与える行為の総称である。
(2) 原告二郎は、知的障害があって学力面での能力は低く、二分脊椎症のため排泄のコントロールがうまくできず、腹筋も弱いため、おならが多かった。また、交代性斜視のため、敏捷な行動が取れず、ボール等が飛んできても怖がる状態であった。このような状態の同原告は、同原告に比較すると圧倒的優位に立つ障害のない生徒からいじめの対象とされるおそれが極めて高かった。
(3) 西及び三上教諭をはじめとするE田中の教員らは、原告二郎の障害の状況を知っていたし、昭和六二年に、やはり知的障害のあるB野夏夫がいじめにあった事件があったことから、障害のある同原告がいじめの対象になりやすいことも十分承知していた。
(4) 原告二郎は、中学一、二年生のころは当時の担任教諭らの配慮もあって、いじめにあうことなく無事に経過したが、同原告が三年生になってから、障害児差別を根に持ったいじめが始まった。
(5) おならに関するいじめについて
(ア) 原告花子は、医師から同二郎の二分脊椎症は一八歳ころまでには治ると言われており、事実中学一年生のころにあった「お漏らし」も三年生になってからはなくなっており、普通の人よりおならが多いという程度になっていた。
(イ) しかし、それでもなお原告花子は、おならのことで同二郎がいじめられるのではないかと心配して、西教諭が同原告の担任になったときも、この点を特に強調して配慮を頼んでおいた。
(ウ) ところが、原告花子の願いもむなしく、B組では同二郎のおならが臭いと言い立て、同原告を嫌がり、のけ者にし、同組のクラスメートが班ノートに同原告を「しまつしてください」とまで記載するようないじめがあった。
(エ) しかるに西教諭は、その担任する生徒に原告二郎が二分脊椎症のためにおならが出やすいことを説明しなかったし、教室の換気をよくする方法を検討もしなかった。しかも、同教諭は、同原告のおならを言い立てる生徒には何ら注意を与えず、かえって右班ノートに同原告のおならを嫌がる生徒の心情に理解を示す記載をし、同原告にはおならをしたときは謝罪をするよう指導して、「障害者は健康な者の迷惑にならないよう、嫌われないよう、小さくなって生きるのが当たり前」という差別意識を植え付けた。
(6) 原告二郎の告げ口に対する被告D原の仕返し
(ア) 原告二郎は、三年生の一学期に被告D原及び同C川らが体育館の蛍光灯を割ってそれを隠したのを知り、これを黙っていることができずに西あるいは三上教諭に話したため、被告D原及び同C川らが三上教諭に叱られるという事件が起きた。
(イ) 被告D原は、同原告の告げ口で三上教諭に叱られたことを根に持ち、以後同原告に「チクッたのはおまえだろう」と言って詰め寄ったり、にらみつけたりしていた。
(ウ) 西教諭は、原告花子に対し、「二郎ちゃんは、黙っておられへんから、みんなにはチクリと言われて嫌われるんですよ」と、何も臆することなく同二郎を非難するように言っていたのであって、同原告が他の生徒に嫌われていることを知りながら、何ら適切な措置ないし指導をしなかった。
(7) 原告二郎に対する嘲笑やからかい
(ア) 原告花子は、同二郎が中学三年生になったころに離婚したが、B組では、同原告に家のことや、両親の離婚のことを言わせては、みんなで嘲笑していた。西教諭は、右事実を知りながら注意することもなかった。
(イ) この事実からすれば、同原告が、他の生徒から、日常的にからかわれ、嘲笑されていた事実が窺い知れる。
(8) 原告二郎が「ガイジ」と言われたときの対応
原告二郎は、三年生の一学期のころ、当時一年生であったC山から「ガイジ」という差別語を言われて侮辱された。同原告は、これを西教諭に訴えたが、同教諭は原告花子に「C山本人と担任に注意した」と告げたものの、実際は何の取組みもしなかった。
(9) 以上のとおり、原告二郎はB組に在学中、他の生徒から障害児差別を根に持ついじめを受けていたが、西教諭らはその事実を知り、あるいは知り得たにもかかわらず、適切な指導・監督をせずに、同原告に対するいじめを黙認若しくは放任し、やがて班ノートに本件障害事件を予測させるような記載、すなわち「時々、あのたわしみたいな五厘頭におもいっきりけりを入れたくなる気持ちにさしてくれます」がなされるようになり、遂に本件傷害事件を惹起させてしまったものである。
そうすると、被告市は、二項1、3、4記載の義務に違反したものであって、原告らに対し、債務不履行もしくは国家賠償法に基づく損害賠償責任がある。
4 原告らの被った損害
(一) 原告二郎
(1) 傷害慰謝料 一〇〇〇万円
(ア) 原告二郎は、被告C川及び同D原の暴行によって本件傷害を被り、平成三年一〇月三一日から症状固定した同五年一一月二四日まで入院二一五日、通院実日数三七日間の治療を要したものであり、この間、生死をさまよう苦痛を味わった。
(イ) 同原告の右苦痛に対する慰謝料は一〇〇〇万円が相当である。
(2) 後遺障害による逸失利益 五九一九万二一九三円
本件後遺障害のうち、四肢麻痺は軽度であるが、頸部痛及び高度の頸部運動制限が伴うため、就労業務が著しく制限される。そこで、原告二郎は、例えば頸部の前屈位を取る必要がある机上の事務作業でさえ、右作業に伴う頸部痛・運動制限により就労不可能である。
そうすると、原告二郎は、本件後遺障害を遺したことにより、労働能力の一〇〇パーセントを喪失し、本件傷害事件がなければ得られたはずの一八歳から六九歳までの四九年間の収入を失った。
平成五年度の賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計の中卒男子一八歳の給与額は二四二万四三〇〇円であるから、一八歳から六七歳までの四九年間右収入が得られたとして、新ホフマン係数二四・四一六二により中間利息を控除すると、同原告の逸失利益は五九一九万二一九三円となる。
(3) 後遺障害による慰謝料 三〇〇〇万円
(ア) 原告二郎は、本件傷害事件がなければ健康で幸福な生活を享受できたはずであるが、同事故により今後生涯にわたって本件後遺障害に苦しまねばならず、絶え間ない激しい頸部痛と運動制限に苛まれることは、死以上の苦痛である。
(イ) 同原告の右苦痛に対する慰謝料は三〇〇〇万円が相当である。
(4) 将来の介護料 六二七二万五三三七円
(ア) 原告二郎は、頸部痛や頸部の高度運動制限等の本件後遺障害により、介護者なしには生活できない状態に陥ったものであり、しかも、本件後遺障害は回復不可能であるから、同原告が生きている限り介護者が必要である。
(イ) 平成三年度簡易生命表によれば、一八歳男児の平均余命は五八・八一歳であるから、原告二郎は、今後五八年間は介護を要する。
(ウ) 一日の介護料としては六四〇〇円程度必要であるから、中間利息を新ホフマン係数二六・八五一六を用いて控除すると、同原告の将来の介護料は六二七二万五三三七円となる。
(5) 弁護士費用 一六一〇万円
(ア) 被告らが、原告二郎に対する損害賠償を任意に履行しなかったため、同原告はやむなく本件訴訟を原告ら訴訟代理人らに委任し、弁護士費用として損害額の一割を支払う旨約した。
(イ) (1)から(4)の損害額合計は一億六一九一万七五三〇円であり、弁護士費用はこの約一割に相当する一六一〇万円となる。
(6) 合計 一億七八〇一万七五三〇円
(二) 原告花子
(1) 入院雑費 九一万二一一〇円
原告花子は、同二郎の入院中、同原告に付き添うため病院へ通った交通費等の雑費として合計九一万二一一〇円を支出した。
(2) 通院交通費 七万八五〇〇円
(3) マッサージ料 九〇〇〇円
原告二郎は、激しい頭痛及び頸部痛を訴えており、同花子は少しでも同二郎の右苦痛を和らげてやりたいと考えてマッサージ施療を受けさせ、代金として九〇〇〇円を支払った。
(4) 原告二郎の介護のために休業した期間の休業損害 一〇七四万一一六〇円
(ア) 原告花子は、本件傷害事件前にはデパートの食品売場のマネキンとして働いており、平成三年八月には三八万九五八五円の、同年九月には二八万三九一九円の、同年一〇月には二九万七八五〇円の各収入を得(一か月平均金三二万三七八四円。一日平均一万〇七九二円)、更に毎年八月と一二月には各金五〇万円の賞与を得ていた。
(イ) ところが、本件傷害事件によって原告二郎が受傷したため、同花子は同二郎の通院及び入院の付添い等で仕事を休まざるを得ず、しかも、治療が長引いている間に失職してしまった。
(ウ) 原告花子は、働かねば生活ができない状況であったが、同二郎の介護が必要であったため外へ働きに出ることもできず、いろいろ悩み考えた末、自宅で同原告の介護をしながらできる仕事として、平成五年一月から細々と豆腐屋を営み始めた。
(エ) しかし、慣れない豆腐屋の仕事は厳しく、その収入もしばらくは無いに等しく、次第に収益が出るようになったが、平成六年二月ころまでの平均月収は一〇万円程度であり、ようやく同年三月ころから収入が増え始め、同年九月現在、一か月につき二二万円程度の収入がある。
(オ) したがって、原告花子は、休業ないし失業していた平成三年一一月一日から同四年一二月三一日までの四二七日間、一日につき一万〇七九二円として合計四六〇万八一八四円の収入を失い、豆腐屋を始めた平成五年一月から同六年三月までの一四か月間は、従前の収入と豆腐屋を始めてからの収入の差額である一か月につき二二万三七八四円の一四か月分合計三一三万二九七六円の収入を失ったほか、従前毎年八月と一二月に得ていた賞与六回分合計三〇〇万円の収入を失った。
右休業損害の合計額は一〇七四万一一六〇円となる。
(5) 付添介護料 三七七万五〇〇〇円
(ア) 本件傷害事件によって、原告二郎は重傷を負い、平成三年一一月一日から症状固定した同五年一一月二四日までの七五五日間は昼夜の付添介護が必要であり、特に手術後二週間は、医師から一刻も目を離さないよう指示され、常時二人の付添いを要した。
(イ) 原告花子は、通常なら職業付添人を依頼すべきところ、友人らの協力を得て寝る暇もなく付き添い、介護した。
(ウ) この間、夜間だけでも職業付添人に依頼すれば一夜当たり五〇〇〇円程度の付添料を要したところ、原告花子はこれを自らの労働で補った。
(エ) よって、同原告は合計三七七万五〇〇〇円の損害を被った。
(6) E原調理師専修学校入学金等 三六万九〇〇〇円
(ア) 原告花子は、同二郎の中学校卒業後、E原調理師専修学校へ入学させる予定であったため、同校へ入学金として三六万九〇〇〇円を支払った。ところが、同原告は、本件後遺障害により調理師になることが不可能になったため、同校への入学を断念したが、支払済みの入学金は返還されなかった。
(イ) よって、原告花子は三六万九〇〇〇円の損害を被った。
(7) 慰謝料 三〇〇〇万円
(ア) 原告花子は、同二郎の母親として、同原告が中学校を卒業して調理師になり、一人前の社会人として自活できるようになることを楽しみに頑張ってきたものであるが、本件傷害事件のため、同原告が調理師になる夢は消え、しかも、同原告は一生介護を要する状態になってしまったものであり、原告花子にとっても自分の全人生を破壊されたに等しい苦痛を受けた。
(イ) 同原告の右苦痛に対する慰謝料は三〇〇〇万円が相当である。
(8) 弁護士費用
(ア) 被告らが、原告花子に対する損害賠償を任意に履行しなかったため、同原告はやむなく本件訴訟を原告ら訴訟代理人らに委任し、弁護士費用として損害額の一割を支払う旨約した。
(イ) (1)から(7)の損害額合計は四五八八万四七七〇円であり、そこから既払額九三三万円を控除すると三六五五万四七七〇円になるので、弁護士費用はこの約一割に相当する三六〇万円となる。
(9) 合計 四〇一五万四七七〇円
(三) 原告一郎
(1) 慰謝料 三〇〇〇万円
(ア) 原告一郎は、同二郎の兄として、同原告の苦痛を自分のこととして味わったが、さらに原告花子が同二郎の治療に奔走していたため、同一郎も同花子を助けて昼も夜もないような生活を送り、高校の卒業式にも出席できず、大学の受験勉強をする暇もなく、とうとう大学受験の時期を逸してしまった。
(イ) また、原告一郎は、同二郎の父親代わりであり、今後生涯にわたって同原告の面倒をみていく立場にある。
(ウ) したがって、原告一郎は、同二郎の本件傷害により甚大な精神的苦痛を被ったもので、この苦痛に対する慰謝料は三〇〇〇万円が相当である。
(2) 弁護士費用 三〇〇万円
(ア) 被告らが、原告一郎に対する損害賠償を任意に履行しなかったため、同原告がやむなく本件訴訟を原告ら訴訟代理人らに委任し、弁護士費用として損害額の一割を支払う旨約した。
(イ) 弁護士費用は(1)の金額の一割に相当する三〇〇万円となる。
(3) 合計 三三〇〇万円
五 請求原因に対する被告らの主張
1 被告市
(一) 安全配慮義務違背について
(1) いわゆる「いじめ」の特徴は、学級を中心とした生徒集団内で、集団的かつ継続的に暴行を受け、又はいたずらをされることにある。
学校設置者は、いじめの具体的態様又は程度、被害生徒及び加害生徒の年齢、性別、性格、家庭環境等の諸般の具体的状況に照らして、そのまま放置したのでは生命若しくは身体への重要な危険又は社会通念上許容できない精神的・肉体的苦痛を招来することが具体的に予見されるにもかかわらず、故意又は過失によってこれを阻止するために取ることのできた実効的な方策を取らなかったとき、初めて安全保持義務違背の責めを負うに至るのである。安全保持義務違背の有無の判断は、教育専門職としての教師等の専門的・技術的な判断として合理的な基礎を持つものであったかどうかを基準としてなされるべきであって、いたずらに回顧的な視点から思い当たる事実を集積し、結果責任を問うに等しいことになってはならない。
(2) ところで、原告二郎の属していたB組には、指導を必要とする問題のある生徒はいなかったし、被告C川や同D原も問題のある生徒ではなかった。
原告らのいう本件傷害事件(以下、傷害の有無を捨象して「本件事故」という)の発端は、原告二郎の持参した弁当に関することで、原告らが強調している原告二郎の放屁に関することではない。
(3) 西教諭は、原告二郎が知能的に劣っており、放屁の習癖のある点に留意し、他の生徒が同原告をこのことでいじめないよう格別の配慮をしながら学級運営をしていたところ、同原告やその家族からはもちろんのこと、同級生の誰からも、同原告が何らかのいじめにあっていることの具体的通報を受けたことはなかった。
(4) 本件事故は、被告C川及び同D原が、原告二郎の弁当のことをからかい、ふざけて足蹴りをした突発的で、一回限りの暴行とみるべきであり、集団による継続的で執拗、陰湿かつ残酷になされる「いじめ」の一つと見るわけにはいかない。
(二) 原告二郎の後遺障害の程度について
(1) E田中の職員は、原告花子が開業した4項(二)の(4)記載の豆腐屋から豆腐等を購入し、平成五年一〇月ころからは、西教諭が週末までに職員からの注文を取りまとめて予め同原告に伝えた上、毎週火曜日に豆腐等を届けてもらう方法が取られることになった。
(2) 注文された豆腐等は、主に原告花子の運転する車でE田中まで運ばれ、その後同二郎によって同中学校の駐車場から二階にある職員室まで運搬される。
(3) 原告二郎が運搬する経路は階段数にして二一段、距離にして約五七メートルであり、その運搬する重量は、注文個数にもよるが約四キログラムであり、時には六キログラムを超えるときもある。
(4) 原告二郎は、右のような運搬作業に従事しているものであり、こうした同原告の状況に鑑みれば、同原告が労働能力を一〇〇パーセント喪失する後遺障害を負ったとはいえない。
2 被告C川ら(本件事故状況)
被告C川は、原告二郎を蹴る意図は全くなく、冗談で左足を上げ、回し蹴りのような格好をスローモーションのようにゆっくりと行ったところ、左足の甲の先の方が、同原告の右側頭部に軽く触れた。その際、同原告は、窓際の自分の席に着席していたが、窓のカーテンが同原告の顔のあたりに垂れていた。その後、同原告が泣き出したため、同被告はすぐに「ごめん、ごめん」と謝った。
以上のとおり、本件事故は、冗談で行った行為であって、故意によるものではない。
3 被告D原ら(本件事故状況)
被告D原は、同C川と共に原告二郎に話しかけた際、同原告が「ハアー」とか、「うるさい、あっちへ行け」などという対応をしたため、仲間同士の親しみを込めてパチキをした。その後、被告C川がふざけ半分でまわし蹴りのような格好で同原告の右側頭部あたりを一回蹴る真似をしたが、それが実際に同原告に当たるとは予想していなかったため、同被告を制止しなかった。
4 被告ら三名共通(本件事故と本件傷害との因果関係)
(一) 仮に、原告二郎の環軸椎亜脱臼の症状が外傷性のものであるとしても、外傷性環軸椎亜脱臼は比較的軽度の外傷に触発して起こるところ、同原告は、本件事故後にも外傷の機会があったのであって、右受傷が本件事故によるものとは特定できない。
(二) 本件事故は、原告二郎に極めて軽微な衝撃を与えたに過ぎず、仮に本件傷害が発生したとしても、その最大の原因は同原告に頸椎形成不全や頭蓋底陥入症という先天的な形態異常が存したという特別事情にあって、被告C川及び同D原は、右事情について知らなかったし、予見することもできなかったから、本件事故と本件傷害との間には相当因果関係が存しない。
六 原告らの認める被告ら主張の抗弁事実(先天的異常の存在)
原告二郎には、頭蓋底陥入症・環椎形成不全の頭蓋頸椎移行部の奇形が存した。
七 原告らの争う被告ら主張の抗弁事実
1 被告ら三名(寄与度減額)
仮に、本件事故と本件傷害との間に因果関係が認められるとしても、同原告に六項記載の先天的異常がなければ、原告ら主張の程度及び範囲の損害は発生しなかった。そうすると、本件事故による損害の賠償額を定めるに当たっては、衡平上、民法七二二条二項を類推適用して、損害の拡大に寄与した六項記載の事情を斟酌すべきである。
2 被告市(過失相殺)
本件事故の際、原告二郎の対応にも不適切な点があり、これが被告C川の足蹴りを誘発したから、本件事故による損害の算定にあたっては、その過失を斟酌すべきである。
八 原告らの明らかに争わない被告ら三名主張の抗弁事実(損益相殺)
原告二郎は、被告松夫らから本件損害賠償金として二一三万円を、日本体育・学校健康センター(以下「学校健康センター」という)から障害見舞金七二〇万円を各受領した。
理由
一 本件の主争点(以下、本項の記載を「争点」という)
弁論の全趣旨によれば、主張一項記載の事実のうち、被告C川らにおいて知らない旨主張する事実をいずれも認めることができる。
また、《証拠省略》によると、その原因はともかく、原告二郎において、本件事件後主張四項2(一)記載の症状が続いたため同項2(二)記載の各診察ないし治療を受けたこと、医師から本件傷害を負った旨の診断を受け、同項2(三)記載の障害が遺ったことが認められる。
そうすると、本件における主争点は、次のとおりである。
1 本件事故状況(主張四項1、五項2、3)
2 本件事故と本件傷害及び本件後遺障害との因果関係(主張四項2(一)、(三)、五項4)
3 被告らの責任原因(主張四項3(一)ないし(三))
4 原告らの損害(主張四項4(一)ないし(三)、五項1(二))
5 原告二郎の頭蓋頸椎移行部に存した先天的異常(主張六項)による寄与度減額(主張七項1)
6 被告市主張の過失相殺(主張七項2)
二 争点1(本件事故状況)について
1 主張三項の事実及び同四項1中の当事者間に争いのない事実に、《証拠省略》を総合すると、本件事故の状況は、次のとおりであったと認められる。
(一) 平成三年一〇月三一日(木曜日)、B組の教室では、午後零時三五分に四時間目の国語の授業が終了し、そのまま午後一時までの昼食時間に入った。B組の生徒は、同組担任の西教諭から昼食時は互いに同組内の者と一緒に食事をするよう指導されていた。原告二郎は、同教室の正面(教壇のある側)に向かって左端(以下、方向を示すのは同趣旨)の窓際一番後の自席に座り、同日朝、母親である同花子が作って持たせてくれた弁当箱を机の上に取り出し、右指導に従って同組の他の誰かと一緒に食事をするためもあって、右弁当箱のふたを開けないまま、同組の他の者がそれぞれの自席に着いて食事し始めるのを待っていた。
(二) 同日午後零時四五分ころ、同教室の一番前の席付近にいた被告D原は、原告二郎が同組の他の者よりも早く、独り弁当箱を取り出して自席に座っているのを見付けて、そのとき会話していた友人である被告C川を誘い、同原告の机の前付近まで歩いていった。そして、まず被告D原において、同原告の机を挟んだ同原告の向かい側正面に立ち、同原告を自分の方に向かせるため同原告の額を指で弾いた後、「なんやその弁当。大きいな」と言った。
(三) 続いて、原告二郎の右横やや前方に立っていた被告C川において、同原告に対し、「誰に作ってもうたん」などと言った。
(四) 原告二郎は、被告D原及び同C川において、母親に作ってもらった弁当をけなしにきたものと考えて右両被告を疎ましく思い、右両被告に向かって、席に座ったまま「うるさい、あっちへ行け」と言った。
(五) それを聞いた被告C川は、原告二郎の態度に腹を立て、左足で同原告の右側頭部付近を合計三回蹴った(以下「本件暴行」という)。その間、被告C川は、同原告が蹴られている様子を他の者に見られないよう、同原告の左側後方に垂れていた日除けのためのカーテンを広げて同原告の右側を覆い、同原告がそれを払いのけようとしたところさらに同被告が覆うという動作をした。同原告は、右のように蹴られたことから「やめて、やめて」と言い、泣き出したため、被告C川は同原告に対して謝った。((五)項の事実認定についての説明は後述)
(六) 丁度そのとき、三年A組に所属し、小学校時代、原告二郎と障害児学級で同じ組になったことがあって、よく一緒に遊んでいたA田がB組の前の廊下を通りかかり、同原告の泣き声を聞き、さらに同原告が被告C川に蹴られているのを見て「二郎ちゃんに何するねん」などと言いながら同組教室内に入って同原告の側まで来たため、同被告は、(五)記載のとおり同原告に謝罪したのに続いて、さらに同原告及びA田に対しても謝った。
2 1項(五)の事実認定についての反対証拠について
ところで、1項(五)で認定した事実については次の各反対証拠が存する。
(一) 被告C川本人尋問の結果(以下「C川供述」という)
被告D原及び同C川が原告二郎に話しかけたところ、うるさいなあ、あっち行けという態度を示されたため、被告D原がふざけ半分で、そのころ学校の生徒間ではやっていた「パチキ」(相手の額を指で弾く行為)を一発当て、続いて被告C川もふざけて、同原告の右側一メートルほど離れた場所で、利き足と反対の左足を上げ、スローモーションで回し蹴りするような格好をし、二、三秒かけて同原告の頭部付近まで左足を持っていったところ、当てるつもりがなかったものの誤って、左足のつま先と甲の間付近が同原告の右側頭部に軽く触れた。すると、同原告が「ウエーン」という声で泣き出したため「ごめん、ごめん」と謝った。その際、窓際のカーテンが風で動いて、同原告の右耳当たりに掛かっていた。
(二) 被告D原本人尋問の結果(以下「D原供述」という)
被告D原及び同C川が原告二郎に話しかけたところ、「うるさい。あっちへ行け。おれは今むかついている」と言ったので、同D原において同原告の額にパチキを入れ、次に被告C川において左足を上げ、一回だけ同原告を蹴るまねをしたところ、その足が同原告の右側頭部に触れた。すると、同原告が急に泣き出したので、右両被告は「二郎ちゃん、ごめん、ごめん」と謝った。その後、A田が右両被告による暴行が続いていると誤解したのか止めに来て、「やめろ。二郎ちゃんに何するねん。謝れ」と言ったので、もう一度同原告に謝った。
3 2項に摘示した証拠についての検討
(一) しかしながら、《証拠省略》によると、西教諭は、本件事故当日及びその翌日に、被告C川、同D原並びに本件事故の目撃者であるA田及びD川秋夫(以下「D川」という)から事情を聞き、平成三年一一月二日(土曜日)には、三年の学年主任で生徒指導部にも所属していた三上教諭も、西教諭による右事情聴取の結果を踏まえて右被告両名並びにA田及びD川の計四名(以下「右四名」という)から事業を聞いたこと、同月九日、原告花子からE田中に対し、本件事故の事実確認書を作成するよう要求があったため、三上教諭は、正確を期する目的で、同月二〇日、再度右四名に事実確認をした上で甲19の「事実の確認について」と題するE田中作成名義の書面を作成し、同月二四日、それを原告花子に対して手渡したことが認められる。また、三上教諭は、その証人尋問においても、甲19の記載内容は右四名から確認した事実のとおり記載したものである旨証言しているし、右甲19の記載内容と証人西の証言内容とは比較的よく似ている。
そうすると、甲19の信用性は高いものと判断できる。
(二) しかるに、C川供述は、パチキをした時期や窓際のカーテンで原告二郎を覆っていないと述べた点、同原告を蹴ったのではなく誤って足が当たったに過ぎないと述べる点等において、甲19の記載内容と明らかに異なっており、信用性に乏しい。
(三) また、D原供述によれば、被告C川の足が原告二郎に触れた程度であったのにもかかわらず、A田の誤解により同人から強い調子で非難されたというのであるから、通常ならば、被告C川及び同D原において反発し、A田に対して言い返すか、少なくとも弁解くらいしそうであるのに右両被告とも素直に謝罪したという点で不自然な感を抱かせる。
(四) さらに、被告C川及び同D原とも、原告二郎は少々のことでは泣かず、からかわれて悔しい思いをしたときなどは通常反撃してくるような性格である旨述べている。そうすると、仮に被告C川の左足が同原告の右側頭部に軽く触れた程度であったにもかかわらず同原告が泣いたなら、右両被告としては、同原告が虚偽で泣く真似をしているのではないかとか、被告C川の足が同原告の身体に触れたこと以外の理由で泣き出したのではないかと疑い、その疑いを前提とした行為を取ってもよさそうであるのに、右両被告はすぐに同原告に謝罪したというのであって、これまた不思議である。
(五) 右のほか、西教諭において、当時のB組の全生徒に確認したところ唯一本件事故を目撃したと述べたD川は、原告二郎がカーテンに覆われたときに蹴られているのを見たとはっきり供述しているが、《証拠省略》によると、同原告の席と教室の後壁との間にはわずかな空間しかないから、仮にD川が、右目撃の際同原告の後方にいたとしても(被告らの主張)、それは同原告の真後ろではなく、少なくとも同原告の右斜め後方にいてそこから目撃したもの推認されるところ、そのような位置で目撃したとするならば、いかに教室の窓際のカーテンが風で揺れていたとしても、被告C川の自認する同原告をカーテンで覆わない状態で一回だけ蹴った事実を、カーテンで覆われた状態で蹴られたものと見誤る可能性は小さいものと思われる。また、原告二郎及びA田は、共に被告C川の足蹴りの回数につき「三回」であったと認定することを許容する供述をしている。以上の事情も考慮すると、本件事故の態様としては、1項(五)に摘示したとおり認定するのが相当である。
(六) なお、原告らは、本件暴行の際、原告二郎をカーテンで覆ったのは被告D原である旨主張するが、本件暴行の際、同被告は同原告の前に置かれた机を挟んだ向かい側付近に、被告C川は右机の右横付近にいたものであって、《証拠省略》によると右机はその左側において教室の窓側壁と接していたから、同D原において同原告の後方にあったカーテンを取って同原告の右横を覆うことは著しく困難であったと認められる。
また、被告C川は、その目的ないし態様はともかく、カーテンで同原告の横を覆った事実を自認している。
そうすると、被告C川においてカーテンを手で取り、同原告を覆いながらさらに蹴ったと認定するのが相当である。
三 争点2(因果関係)について
1 《証拠省略》によると、原告二郎には、環椎(第一頸椎)の前弓及び後弓がそれぞれ正中で癒合しておらず、かつ後頭骨と癒合している先天性の環椎形成不全と、軸椎(第二頸椎)の歯突起が頭蓋内に貫入し、その先端が延髄の前面に出ている先天性の頭蓋底陥入症の、頭蓋頸椎移行部奇形の一種が存したが、本件暴行以前はそれらによる症状が出現していなかったこと、ところが、本件暴行に基づく外力により、同原告の環軸椎周辺の諸靱帯が緩んで環軸椎亜脱臼が発生し、首を前屈するなどした際、歯突起が延髄を圧迫して眼球の協調運動障害や四肢の筋力低下及び麻痺などの症状が出現するようになって、呼吸中枢を圧迫して呼吸困難となり突然死する危険性も生じたこと、そこで、大阪市立大学医学部附属病院医師は、平成四年四月二日から三日にかけて、同原告の歯突起による延髄に対する圧迫を解除するため、咽頭後壁を正中切開して軸椎の歯突起を除去する前方減圧術を行っていったん創を閉め、同原告の体位を変換して大後頭隆起から第四、第五頸椎付近まで正中切開し、後方から延髄後面もしくは上位頸髄の前面に対する圧迫を除去した上後頭骨から第二頸椎間に腸骨を移植する後方固定術を行ったこと、右手術中の所見によると、同原告の環椎横靱帯が傷んでおり、右手術によって切除された靱帯組織を検査したところ日常生活で起こるようなものでない月単位(「数か月」の趣旨と解される)以前に生じたと思われる出血及び壊死反応が認められたこと、同原告には、右手術後においても本件後遺障害(主張四項2(三))が残存したことが認められる。
2 なお、同病院医師西川節が多根病院医師に宛て平成四年五月一二日付けで作成した紹介書中には、原告二郎について、「(知能)が少し低く、また、外傷(友人になぐられけられたこと)がきっかけとなって発症しており、詳しい説明は白馬Drから行われており、とくに因果関係はないとの説明がなされております」との記載があるが、右の記載のみでは何と何との間の因果関係がないとの説明がなされたか一義的に明らかではないし、平成四年三月末ころ、同大学医学部脳神経外科教室で原告二郎に関し行われた症例検討会において、白馬教授も交えて話し合ったことのある証人金安明は、右記載の意味を暴行と骨の形態異常との間の因果関係がないという趣旨に解する旨証言していること、さらに、同証人は、右紹介書を作成した西川医師が、右症例検討会には参加していなかったと証言していることも考慮すると、右紹介書の記載をもって、1項の認定事実を覆すに足りる証拠とはいえない。
3 以上のとおり、本件暴行(本件事故)と、本件傷害及び本件後遺障害との間の事実的因果関係(争点2)は認められる。
被告らは、外傷性環軸椎亜脱臼は比較的軽度の外傷に触発して起こるが、原告二郎には本件事故後にも外傷の機会があったので、本件傷害が本件事故によるものとは特定できない旨主張する。
しかしながら、前掲甲19によると、同原告は、本件暴行直後である平成三年一〇月三一日午後一時から一時三〇分の間に、三木養護教諭に対して「様子がおかしい。フラフラしたり物が斜めや逆さに見えたりする。こんなんははじめてや」と、明らかに環軸椎亜脱臼に起因する眼球の協調運動障害と見られる症状を訴えたのであるから、本件傷害が本件暴行によって発生したことに疑問の余地はない。
4 被告C川及び同D原においては、原告二郎の先天性疾患の存在について予見可能性がなかったから、本件事故と本件傷害との間に相当因果関係がない旨主張する。
しかしながら、被告C川及び同D原は、四項1で判断するとおり、いずれも故意をもって、共同して原告二郎に対する本件暴行を加えたものであるから、本件暴行により生じた結果についてその責任を負うべきことは明らかである。なお、右結果のうちどの範囲の損害について被告らが責任を負うべきかについては、いわゆる後続侵害の問題として、五項において検討することとする。
四 争点3(責任原因)について
1 被告C川及び同D原
(一) 二項1で認定した事実によれば、被告D原は、同C川を誘って同被告と共に原告二郎の座っていた席まで行き、まず被告D原において同原告の額を指で弾く暴行を加えた上、直接的には同原告の弁当箱の大きさを、間接的には弁当箱を机の上に出している同原告そのものをからかい、被告C川においても同D原の右暴行行為を認識しながら、それに呼応して、右弁当を作った人物が同原告の母親であることが容易に予想できたにもかかわらず、誰が作ったのかと述べ、原告二郎に加えて右弁当を持たせた同花子までをも暗にからかう旨の言辞を弄したところ、同原告から「うるさい、あっちへ行け」と反発されたことに憤り、本件暴行に及んだものであって、被告D原及び同C川は、意思を連絡した上、原告二郎に対するからかい及び暴行行為を行ったことが明らかである。
(二) そうすると、被告C川が本件暴行によって生じた損害を賠償すべきことはもちろん、同D原においても、民法七一九条一項前段により、本件暴行によって生じた損害を被告C川と連帯して賠償すべき責任がある。
(三) なお、被告D原らは、同D原が原告二郎の額を指で弾く行為(パチキ)をしたことについて、「健常者と共に生活を送っている同原告に対して、一種の親しみをも込めた行為というべきものである」旨、右行為が「暴行」に当たらない旨主張するかの如くである(違法性を欠くとの趣旨と解される)。
しかしながら、パチキと呼ばれる行為は、その方法によっては相当程度の痛みを感じるものであることは、被告D原自身認めるところであるし、当裁判所の認定事実とは異なるが、同被告自身、パチキと呼ばれる行為を、原告二郎から「うるさい、あっちへ行け、俺は今むかついている」と言われたことに反発して行った旨述べているのであって、右行為を、同被告の同原告に対する親愛の情からなされた違法性を欠くものとは認め難い。
2 被告松夫ら及び同竹夫ら
原告らは、被告C川及び同D原に責任能力が存することを前提としつつ、右両被告の両親である被告松夫ら及び同竹夫らが、それぞれの子である右両被告の監護・教育義務を尽くさなかったと主張する(主張四項3(二))。
しかしながら、本件全証拠によっても、被告C川及び同D原が本件暴行に至る前において、他人に暴行を加えたり、そのおそれがあるような生活態度を示していたと認めるに足りる証拠はない。
そうすると、被告松夫らにおいて被告C川が、同竹夫らにおいて被告D原が、それぞれ他人に暴行を加えるおそれがあることを予見できるような状況にあったとは認定できず、結局、被告松夫ら及び同竹夫らにおいて、本件暴行を振るわないよう監督し、あるいは教育すべきであったのにそれを怠った過失があったとは認定できない。
3 被告市
(一) 《証拠省略》によると、次の事実が認められる。
(1) 原告二郎は、中学一年生のころから仲間外れにされたり、くつを隠されたり、同原告の仲間はずれにされたくないという気持ちを利用されて、仲間の命令により他の生徒に意地悪を言わされたり、クラブ活動が中止でないにもかかわらず他の生徒にその旨嘘を言われたり等の、一過性のいざこざに巻き込まれたことがあった。
(2) 原告二郎には、脳障害に起因すると思われる知的障害や、交代性斜視(外斜視)のほか、一歳時に発見された軽い二分脊椎症の障害があって、尿や便の排泄をうまく調節することができず、それらを漏らすことがあった。医師からは、同原告が一八歳くらいになるまでに、意識が向上して排泄の失敗が恥ずかしいと思うようになれば、それらを自分の力で調節するようになって、排泄の失敗もなくなるだろうが、もしその年になっても失敗するようであれば、神経を植える手術をしようと言われていた。同原告は、中学一年生のころまでは、学校で尿や便をもらしたりすることもあったが、中学三年生になってからは、排泄の失敗はほぼなくなったものの、うまく排便できないことから、臭気の強いおならが出やすいという症状が残っていた。原告花子は、自力で排泄する力を身につけて欲しいという気持ちもあって、極力潅腸等による強制的な排便をさせないでいたところ、これらの事情は、B組の担任である西教諭にも伝え、同教諭も認識していた。
(3) しかるに、原告二郎は、同花子の心配したとおり、教室内で臭気の強い放屁を頻繁に行うことから、B組の生徒の中には同二郎の放屁を嫌悪する者も多く、同原告の自由帳に放屁あるいは排便する同原告の姿を描いたり、同組にあった六つの班毎に班員が毎日順に記入することになっていた班ノートに同原告の放屁を指摘する記載がなされ、被告D原もそのような記載を行ったことがあった。
右のような班ノートの記載中には、単に同原告の放屁の事実を指摘するだけではなく、冗談であると断りながらも、「これでは勉強どころではありません。時々あのたわしみたいな五厘頭におもいっきりけりを入れたくなる気持ちにさしてくれます。先生!!あれをはやくしまつして下さい」との記述もあった。
(4) 西教諭は、原告二郎の自由帳は見たことがなかったが、班ノートの記載については認識しながらも、B組の生徒に対し、同原告の放屁が二分脊椎症という病気の症状であってやむを得ないものであるとの説明は行わず、(3)で摘示した班ノートの記述に対し、同原告が便秘気味であるとか、同原告が排便できたから今日は放屁しないであろうとか、放屁をしそうなら外に行くように、あるいはトイレに行くようにと同原告に対してあたたかく言ってやろうとか、放屁したら同原告に謝らせようなどと付記し、また、実際同原告の放屁に気付いたときは自ら同原告に謝罪させたりした。
なお、西教諭は、(3)の後段に摘示した班ノートの記述に対しては、「二郎ちゃんもがまんできるときはがまんしてほしい。みんなは逃げるわけにもいけへんからよくがまんしてくれていると思います。いつもすぐうしろが同じ人にならないように班の人席かえもかんがえてやってください」、「みんなでにおいこうげきがなるべくないようにする方法を考えよう」などと付記したが、同教諭において、具体的に同原告の放屁による臭気を和らげるための方策を考えてはいなかったし、他の教員仲間に右方策について相談したこともなかった。
(二) 以上のとおり、西教諭は、自由帳については知らなかったものの、班ノートについては目を通し、その記載によってB組の生徒たちが原告二郎の放屁による臭気に強い不満を持ち、同原告を非難する心情を吐露していることを知っていたのであるから、同教諭としては、原告花子から聞かされていた、同二郎には先天性の病気である二分脊椎症があって、同原告の放屁は右病気に基づくものであるとの説明をし、右生徒たちの不満を和らげ、同原告を非難させることのないような措置を取る一方、臭気を和らげるため、教室に換気装置を設置するなどの措置を取るようしかるべき者に働き掛けることも可能であったように思われる。なお、これらの措置を取ることは、障害を有する人に対する「差別」とか、「特別扱い」などとは無関係の、全ての人が多から少なかれ有する特徴ないし性質に対する当然の「配慮」とでもいうべきものと考える。
しかるに、同教諭は、右生徒たちの同原告に対する不満ないし非難を誤ったものとは評価せず、むしろ、当然のことであるかのように受け止めた上、右生徒たちに対し、同原告の放屁を我慢するように、辛抱するようにとのみ指導した。右指導は、既にこのことのみで、暗に我慢ないし辛抱させられているものが正しく、それをさせているものを悪いと評価することにも通じ得るものであるが、さらに、同教諭は、我慢ないし辛抱していることを良いこととしてほめる態度を示す一方、原告二郎に対して放屁を我慢するよう、放屁しないようにきちんと排便するよう、放屁してしまったときには周囲の者に謝罪するよう指導するなどして、自らの努力ではどうしようもない原告二郎の病気やその感情に対して思い遣りを示さなかったという問題を含んでいたように思われる。
(三) そして、本件暴行は、原告二郎について、いわば一方的に周囲に迷惑を掛ける者であると認識することも可能であるような雰囲気が、B組の生徒の間にあったからこそ起こった可能性も否定し難い。
二項で認定したとおり、本件暴行を発見していち早く止めに入ったのが他の組に属するA田であったことや、本件暴行が行われた際、教室内には他にも多くのB組の生徒がいたはずであるにもかかわらず、本件暴行を目撃したと名乗り出たのはD川一人であったことなども、右のような雰囲気があったことを推測させる一事情といえる。
(四) しかしながら、他方、本件全証拠によっても、本件暴行が起こる以前に原告二郎がE田中の他の生徒から暴行を振るわれたことが明るみになったとの事実は認められないし、少なくともB組の生徒から同原告が暴行を振るわれた事実があったとも認め難い。また、少なくとも同原告が中学二年生になって以降本件暴行が起こるまでの間において、E田中の他の生徒から暴行には至らない継続的な精神的・肉体的苦痛(いわゆる「いじめ」)を受けていたことを認めるに足りる証拠もない。
そうすると、西教諭において(二)に摘示したような指導上の問題点があったことや、原告二郎が障害を有する一般的に弱い立場にあったことを最大限考慮に入れても、なお、同教諭ないし三上教諭はじめE田中の他の教員らにおいて、本件暴行に類する事故の発生する危険性を具体的に予見できたとはいえず、本件暴行が発生したことについて、被告市に過失(保護・監督・教育義務違反)があったとはいえない。
(五) なお、原告らは、主張四項3(三)の(6)ないし(8)記載の事実を指摘するが、前掲各証拠によると、同項3(三)の(6)の(ア)記載の事実は認められるものの、その他の指摘事実は認めるに足りる証拠がないし、仮に右指摘事実があったとしても、右事実によっては被告市の前記過失を認め得ない。
五 争点4(損害)について(弁護士費用は八項で検討する)
1 原告二郎
(一) 傷害慰謝料 一〇〇〇万円
一項で認定した主張四項2(一)、(二)の事実及び三項1で認定した事実に前掲各証拠を総合すると、原告二郎は、本件暴行の後平成四年二月二〇日ころその原因が明らかになるまでの間、不可解な症状に悩まされながら様々な医療科の専門医で多数回受診しなければならなかったこと、右症状の原因が判明した後も、その診断結果の重大性や治療方法の危険性に驚愕し、恐怖に苛まれたであろうこと、非常に難度の高い手術を受けた上、手術後も髄膜炎に罹患したり、長期間頸部を固定しての不自由な生活を強いられたこと、その他本件傷害が故意による暴行によって惹起されたこと等も考慮すると、右傷害及び入通院によって同原告の被った精神的損害を慰謝するためには、少なくとも右金額を要すると判断する。
(二) 後遺障害による逸失利益 二九五九万六〇九六円
《証拠省略》によると、原告二郎は、本件傷害による生命への危険性除去のため、三項1で認定した手術を受けたが、その後においても軽度の四肢麻痺、頸部痛及び頸部の高度運動制限の後遺障害が残ったこと、その結果、同原告の頸部は、通常人の可動領域の五〇パーセント以上の範囲において運動が制限され、首を左右に傾けることが困難であることから自転車に乗ったり、泳いだりすることが危険でできなくなり、また、首を下に向ける作業は長時間できなくなったこと、しかしながら、同原告は、原告花子が同二郎の側に付いていながらできる仕事として、本件事故後である平成五年一月ころ始めた豆腐店の配達の仕事を同花子と共に行い、同花子が車を運転して顧客の家の軒先まで行き、同二郎が豆腐二、三丁を手提げ袋に入れて、顧客の家まで徒歩で届ける仕事をしていること、同原告は、平成五年ころ以降、独りで自宅から徒歩一、二分の距離にある近畿日本鉄道二上駅まで歩いて行き、同駅から同畝傍御陵前駅まで約三〇分間電車に乗り、同駅から徒歩二、三分の距離を歩いて橿原市立A川夜間中学校まで通学していることが認められる。
そうすると、原告二郎は後遺障害を遺してはいるものの、ある程度軽易な労務には従事し得るものと判断されるのであって、同原告が本件後遺障害によって喪失した労働能力率は五〇パーセントであると判断する。
そこで、同原告が本件暴行にあわなければ主張四項4(一)の(2)に摘示された賃金センサスによる中卒男子一八歳の給与額と同額の給与を満一八歳から六七歳に至るまでの四九年間得られたとして、新ホフマン係数を用いて同原告の本件後遺障害による逸失利益を算定すると、次の計算式のとおり二九五九万六〇九六円(一円未満切り捨て。以下同じ)となる。
〔計算式・2,424,300×(1-0.5)×24.4162=29,506,096.83〕
(三) 後遺障害による慰謝料 一〇〇〇万円
(二)に摘示した後遺障害の程度や、右後遺障害が故意による暴行によって惹起されたものであることなどを考慮すると、右金額が妥当である。
(四) その他の損害請求について 零円
同原告は、将来の介護料を請求するが(主張四項4(一)の(4))、(二)で認定した後遺障害の程度に照らし、その必要性はないものと判断する。
(五) 合計 四九五九万六〇九六円
2 原告花子
(一) 入院雑費 九一万二一一〇円
《証拠省略》によると、原告花子は、同二郎の長期間に及ぶ入院中、連日同原告に付き添い、入院先の病院への交通費等相当額の雑費を要したものと認められるのであって、その総計は右金額であると認められる。
(二) 通院交通費 七万八五〇〇円
《証拠省略》によると、原告花子は、同二郎の多数回にわたる通院の全てに付き添ったと認められるのであって、右付添いに要した交通費の総計は、右金額であると認められる。
(三) マッサージ料 九〇〇〇円
弁論の全趣旨によると、主張四項4(二)の(3)記載の事実が認められる。
(四) 原告二郎の介護のために発生した休業損害 零円
《証拠省略》によると、原告花子は、同二郎が本件暴行にあう前は、同原告及び当時高校生であった原告一郎との三人の生計を維持するため、家族で唯一就労していたところ、同二郎が本件傷害の結果前記入通院を余儀なくされ、その付添いに従事した同花子は従前の職を失い、前記認定のとおり豆腐屋の営業を始めたものであって、主張四項4(二)の(4)の(ア)ないし(エ)記載の事実を全て認めることができる。
しかしながら、原告花子に生じた右休業損害は、同二郎が本件傷害を負ったことがきっかけとはなっているものの、本件暴行の被害者である同二郎とは別の人格である同花子の有していた事情と相まって派生的に生じたものであって、被告C川及び同D原が本件暴行をなした当時、特に原告花子における右損害発生についての故意ないし害意があったと認めるに足りる特段の事情のない限り、本件暴行行為による権利侵害の結果生じた損害には当たらないものと判断すべきところ、右特段の事情を認めるに足りる証拠はない。
(五) 付添介護料 三三七万五〇〇〇円
《証拠省略》によると、主張四項4(二)の(5)の(ア)ないし(ウ)記載の事実を認めることができる。
(六) E原調理師専修学校入学金等 三六万九〇〇〇円
《証拠省略》によると、主張四項4(二)の(6)の(ア)記載の事実を認めることができる。
(七) 慰謝料 零円
原告花子は、同二郎が被った本件傷害及び本件後遺障害によって自らが被った固有の慰謝料を請求しているが(民法七一一条の拡張解釈による請求をするものではないと解する)、子を思う親の心情として、その主張する精神的痛手を受けたことは十分理解できるものの、右の精神的損害に対する賠償請求は、結局民法七一一条に規定する慰謝料請求と同質のものであって、本件傷害に起因して原告花子の法益が直接的に侵害されたものではないといえる。そうすると、民法七一一条に該当する場合でない限り、請求し得ないものと判断する。
(八) 合計 四七四万三六一〇円
3 原告一郎(慰謝料) 零円
《証拠省略》によると、主張四項4(三)の(1)の(ア)記載の事実を認めることができるが、2項(七)で判断したと同様、本件傷害に起因して原告一郎の法益が直接的に侵害されたものではないから、同原告の慰謝料請求も理由がないものと判断する。
六 争点5(寄与度減額)について
1 《証拠省略》によると、三項1で認定したとおり、原告二郎には先天的に頭蓋頸椎移行部奇形(環椎形成不全及び頭蓋底陥入症。以下「本件素因」という)が存したところ、本件素因があっても、その症状が小児期に発症することはまれで、小児期においては本件暴行のような外力を受けることによって発症することが多いこと、同原告が、仮に本件暴行にあわなかったとしても、二〇歳ころ以降四〇歳ころまでをピークとして同様の症状が現われる可能性があったこと、仮に同原告に本件素因が存しなければ、後頭骨と環椎の間の関節により本件暴行による外力を吸収する結果、同原告に何の症状も生じなかった可能性が高いところ、同原告の後頭骨と環椎が癒合していたため、右外力による全衝撃が環椎と軸椎の間で吸収された結果、同原告に環軸椎亜脱臼が生じたと推認されること(なお、本件暴行によって同原告に発赤等が生じたことを示す証拠はない)の各事実が認められる。
2 そうすると、本件傷害に起因する損害の全てを被告C川及び同D原に負担させることは公平を欠き、民法七二二条二項を類推適用して、同原告に本件素因が存したことの事情を、原告二郎及び同花子の損害算定にあたって斟酌すべきものと判断する。
3 原告らは、原告二郎に存した本件素因は、最高裁平成五年(オ)第八七五号平成八年一〇月二九日第三小法廷判決(民集五〇巻九号二四七四頁)にいう「平均的な体格ないし通常の体質と異なる身体的特徴」に過ぎず、本件につき民法七二二条二項を類推適用することは許されない旨主張する。
しかしながら、右最高裁判決は、平均的体格に比して首が長く多少の頸椎の不安定症があるという身体的特徴があっても、それが疾患に当たらない場合には損害賠償の額を定めるに付いて斟酌してはならない旨判示したものであって、その判文中には、「極端な肥満など通常人の平均値から著しくかけはなれた身体的特徴を有する」場合であっても、右斟酌を許容する旨の記載があることも考慮すると、原告二郎の本件素因のような、後頭骨と環椎の癒合を含む環椎形成不全及び頭蓋底陥入症は、明らかに「疾患」にあたるものといえると判断でき、原告らの右主張は理由がない。
4 そして、本件《証拠省略》によると、原告二郎及び同花子の損害に対する本件素因の寄与率は、七割とするのが妥当であると判断する。
5 そうすると、原告二郎及び同花子の損害額は、次のとおりとなる。
(一) 原告二郎 一四八七万八八二八円
(二) 原告花子 一四二万三〇八三円
七 争点6(過失相殺)について
本件全証拠によっても、本件暴行の際、原告二郎の被告D原及び同C川に対する対応に、本件暴行を招来すべきような落ち度があったとは認め難い。
八 損益相殺及び弁護士費用
1 損益相殺
原告二郎が、被告松夫から本件損害賠償金として二一三万円の、学校健康センターから障害見舞金として七二〇万円の、合計九三三万円の給付を受けたことについては争いがない(主張八項)。なお、学校健康センターからの災害共済給付を原告二郎の損害額から控除すべきことについては、日本体育・学校健康センター法四四条二項により明らかである。
そうすると、原告二郎の損害額は、五五四万八八二八円となる。
2 弁護士費用
(一) 原告二郎 八〇万円
1項で認定した同原告の損害金(認容額)を基礎に、日弁連報酬等基準規程を参考とし、なお、遅延損害金を不当に利得しないように算定すると、八〇万円とするのが妥当である。
(二) 原告花子 二五万円
六項5(二)の記載の同原告の損害額(認容額)を基礎に、(一)と同様算定すると、二五万円とするのが妥当である。
(裁判官 森脇淳一)